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豊臣秀勝

豊臣 秀勝/羽柴 秀勝(とよとみ ひでかつ/とよとみ の ひでかつ、はしば ひでかつは、安土桃山時代の武将。

豊臣秀吉(羽柴秀吉)の姉である日秀の子で秀吉の甥にあたり、養子に迎えられる。兄に豊臣秀次、弟に豊臣秀保。幼名は小吉、少将。

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妻は織田信長の姪で淀殿の妹である江(小督)。江は秀勝の死後徳川秀忠と再婚したため、二人の間に生まれていた娘・完子は淀殿に養育され、後に公家の九条幸家に嫁いだ。
秀吉の九州征伐や小田原征伐に従軍し軍功をあげる。天正13年(1585年)、病死した羽柴秀勝(信長の子)の遺跡を相続し、丹波国亀山城主となるが、天正18年(1590年)7月には関東に転封された徳川家康の備えとして甲斐国を与えられた。短期間であるため甲斐支配の史料は少ないが、郡内地方や河内における検地の実施を試みており、寺社への寺領安堵や禁制、諸役免除なども行っている。天正19年(1591年)3月には美濃国岐阜への転封となり、甲斐は加藤光泰に与えられている。

文禄の役には大将として出陣するが、巨済島にて病没する。秀吉の正室高台院の甥豊臣秀俊(小早川秀秋)が遺跡を相続した。


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2009年05月01日 13:13に投稿されたエントリーのページです。

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